コットントリビア1

COTTON STORY 10

コットントリビア2

<甲子園は、コットン畑 だった!?> 今はアメリカ綿をはじめ、外国の綿花をたくさん輸入している日本ですが、 昔は国内でも綿花が盛んに栽培されていました。 日本の綿花栽培は戦国時代から始まり、明治初期まで栄えたと いわれています。 なかでも摂津、河内、和泉の3国(大阪府周辺)と、三河、尾張(愛知県周辺)は、綿作の中心地でした。 高校野球のメッカ・甲子園は、摂津国の一部でした。 今では応援合戦の声が鳴り響く甲子園も、当時は辺り一帯に綿畑が広がり、 収穫期にはコットンボールがはじけ、白い花が咲いたような美しい風景が、 見られたといいます。 また、この地で綿花生産が発展したのは、甲子園浜でイワシが大量にとれ、 それを乾燥した干鰯(はしか)が綿づくりの肥料に適していたからとも いわれています。 柔らかで温かく、自由に色染めできる木綿の着物は、それまで硬い麻などの 着物を着ていた庶民に歓迎され、たちまち衣類の主役になっていきました。

<童話に歌われる「コットン」。> 「コットン」という言葉から、幼い頃に聴いたり、歌ったことのある 「森の水車」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。 やさしいメロディにのせて水車がコトコトと音を立てて回る のどかな農村風景が歌われています。 水車というと、粉挽きや米つきに使われるイメージがありますが、 実は一時期、綿の機織りにも使われていました。 明治時代に日本でガラ紡績機が発明され、水車動力を利用した綿紡績が 愛知県の三河地方に広がりました。 やがて機械化、近代化の流れのなかで、ガラ紡績は勢いを失っていきましたが、 今でもその技術は受け継がれているそうです。 童謡に歌われるコットンと、暮らしを彩るコットン。 その不思議なつながりになんだか驚かされますね。